研究の背景・目的

液相分離化学の限界突破と、新しい分離手法の開発

研究の背景

液相分離化学における限界突破

分離機構の開発

液相分離化学は、化学物質の特性を明らかにするための中心的な技術です。特に、高速液体クロマトグラフィー(HPLC)の進歩により、数万成分の分離や、1 amol以下の検出が実現されてきました。この技術の進展は、質量分析計の革新や超微量送液装置の発展など、装置のハード面によるものが大きいです。しかし、分離のコアとなる分離場の開発に関しては、主にオクタデシル基結合型カラム(C18)の性能向上に依存しており、過去20年以上にわたり新しい分離機構の実用化は見られていません。

現在の液相分離技術では、主に疎水性、静電性、極性、サイズ、そして生体成分アフィニティが分離の駆動源として使用されています。これらの要素は、多くの物質の分離には適していますが、同位体を含む物質群や生体高分子の微細な構造差異など、特定の物質群には限界があります。これらの分離には、全く新しい分子間相互作用の概念を利用した革新的なアプローチが求められています。

保持予測における課題

液相分離の最適化は、通常、有識者の経験や勘に依存しており、多くの時間とコストを要します。近年では、メソッドスカウティングや保持予測などのソフトウェアが開発され、分析条件の効率的な探索が進められています。しかし、これらのソフトウェアは主に逆相クロマトグラフィーに限定されており、分子間相互作用や固定相の化学的・物理的特性を十分に考慮していないのが現状です。

シーズと課題

π相互作用を利用した分離場の構築

研究者たちは、微弱な分子間相互作用、特に芳香環に由来するπ相互作用に着目して、分離場の開発に取り組んでいます。例えば、フラーレンを固定化した分離場では、π相互作用を利用してH/D同位体やハロゲン化物の分離が成功しています。HPLCでは、固液界面での分配平衡を溶出時間から推定することで、π相互作用が主な分離駆動源となる可能性が示されていますが、π相互作用のみを用いたHPLCシステムの完全な構築にはまだ至っていません。今後の研究では、芳香環に基づく精密な分離場の設計とその理論的解釈が求められます。

「その場計測」技術の活用

主な共同研究者である高谷らが開発した放射光X線/赤外線/テラヘルツ分光技術を使用することで、分析対象の分子-固定相-溶媒の複雑な構造の詳細な解析が可能になります。「その場計測」により得られた分子相互作用のデータを基に、分子動力学計算と量子化学計算を組み合わせたハイブリッドシミュレーションが行われ、微弱な化学相互作用を見分けるためのマルチスケール解析が進められています。このアプローチにより、新たな分離機序の解明と革新的な分離手法の実現が期待されています。

データ駆動型予測の進展

主な共同研究者である吉田らは、データ駆動型の高分子材料研究に取り組んでおり、これを液相分離に応用することで、より精密な保持予測が実現することが期待されています。この予測モデルは、移動相の溶質・溶媒や固定相の分離剤の物質構造を表す記述子、物理化学的特性、液相の流速・温度・圧力などを含むパラメータを考慮します。これにより、分離条件の最適化に向けた新たなアプローチが提供されるとともに、予測モデルの逆問題として、保持時間(スペクトル)の分離度を最大化する分離条件の推定も可能となります。

液相分離の精密予測には、分子記述子を用いた化学インフォマティクスが不可欠です。特に、高分子化合物やナノメートルスケールの構造の定量化が重要です。分離剤の微細構造やマクロな構造、液相の流体速度など、すべての要素を組み合わせることで、より正確な分離予測が実現します。また、質量分析などの定性情報を組み込むことで、逆問題としての未知化合物の分析条件を一義的に決定する革新的な分離支援が実現することが期待されています。

研究の目的

分離化学の限界突破

  • 最新の合成手法に基づく材料開発と世界最高性能の分離基材を組み合わせた新規分離場の開発
  • 分光学や量子力学計算に基づく分子間相互作用の定量化

データ駆動型の分離条件最適化

  • 液相分離に関わる全ての条件を包括的に精密予測するためのデータベースの構築
  • 分子記述子や物理的特性,環境変数を組み合わせた分離保持を予測,逆問題としての分析条件最適化を実現するソフトウェア開発

これらの成果を統合することで,液相分離が抱える社会課題を一気に解決するシステムを創成することを目指す。